大判例

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広島高等裁判所 昭和63年(う)58号 判決

論旨は要するに,原判決は,被告人が汽船「TAIYO I」(レース艇船舶。以下単に「タイヨー」という。)を操船し,原判示のとおり,時速約60ないし70キロメートルで広島県佐伯郡沖美町神禰鼻西方海上をほぼ南に向け航行中,自船左前方の停泊船や自船左方のがんね海水浴場に気を奪われ,一時前方注視を欠いたまま漫然同速度で航行を続けた過失により,自船右前方から反航してきた漁船能水丸(総トン数2.4トン)を約15メートルに接近して初めて発見し,とっさに機関停止,右転舵の措置を執ったが及ばず,自船船首を能水丸の左舷後部付近に衝突させ,よって船舶往来の危険を生じさせるとともに,右衝突の衝撃により,右能水丸を操船していたY及び同船同乗者Nを死亡させたほか2名に重傷を負わせたと認定したが,被告人には右のような過失はないというものである。

すなわち所論は,原判決は「衝突直前の能水丸とタイヨーの針路は,一直線上を正面から反航していたというものではなく,タイヨーの針路に対して能水丸がやや右から左に交差する針路を取っていた」とした上,両船が接近するにつれて衝突の危険が発生し,これを避けようとして右転した能水丸にタイヨーが衝突した旨認定したが,

1 能水丸が衝突直前に右転舵する以前の両船の針路は,その離合地点においてはほぼ平行に近く,両船は右舷対右舷で約20ないし30メートルの距離を隔てて安全に離合できるコースを航行していたものであるところ,離合直前に能水丸が急に右転してタイヨーの針路を横切ったために衝突したものである。

2 仮に両船の針路が交差する形であったとしても,その離合地点では右同様に少なくとも約11メートルの間隔を隔てて安全に離合できたと考えるところ,それにもかかわらず右同様に能水丸が急に右に転舵したために衝突したものである。

3 被告人は両船の間隔が200ないし300メートルに接近した地点で能水丸を認め,かつそのままの針路で安全に離合できることを確認して,それ以後は針路左方の海水浴場方面の海水浴客らの安全に注意していたものであり,仮に能水丸の急転舵に気付いたとしても,既にその時点では衝突を回避することは不可能であった。そして,既に安全に離合できることを確認していた被告人にとっては,このような能水丸の急転舵まで予測して操船すべき業務上の注意業務はなく,能水丸がそのまま安全に離合するように直進することを信頼して操船することが許されるというべきであるから,衝突直前に被告人が能水丸から目を離していたとしても,これが本件衝突と因果関係がある過失とされるいわれはない。

と主張するものである。

そこで検討するに,

イ まず右1の点については,原判示挙示の関係証拠によれば,タイヨー及び能水丸の大まかな針路はいずれも原判決添付の別紙1及び同2の各図面(省略)のとおりであり,かつ衝突数秒前までの両船の速度はタイヨーにおいては毎時60ないし70キロメートル,能水丸においては若干の変動があったようであるがおおむね毎時30キロメートルであったことが認められる。被告人の操船するタイヨーはがんね海水浴場沖合の櫓石を左に見ながら徐々に針路を南に取り,大黒神島西方を目指して南下しつつ,時速60ないし70キロメートルで豪頭鼻西方沖合に差し掛かったものであり,一方被害者Yの操船する能水丸は西能美島東岸の能美海上ロッジに赴くべく同島に沿って徐々に針路を北から北東へと変えながら,時速約30キロメートルでがんね海水浴場方面に向けて前記櫓石西方沖合に差し掛かったものであって,これをごくおおまかに見れば,西南から南に向けて大きく湾曲するタイヨーの針路と,北から北東へと湾曲する能水丸の針路が前記櫓石西方沖合で交差する状況にあったものである。

そして,右両船は同日午後2時40分ころ右櫓石西方地点において衝突したのであるが,その直前に能水丸が更に右に転舵した事実は認められるものの,少なくともその右転舵の直前数十秒の間の互いの針路は,基本的には右に述べたのと変わらず,タイヨーから見れば能水丸の針路は自船正面ないし右斜め前方から左方へ向けて自船の針路と交差し,能水丸から見ればタイヨーのそれは自船正面ないしやや左前方から右方に向けて自船針路と交差する形であり,そのまま両船が進行すれば衝突する危険があったことが認められる。

ロ 次に右2の点についていえば,確かに当審証人Sは,タイヨーと能水丸の針路が前記のような状況で交差することを前提としつつ,右両船の衝突角度,両船の速度,能水丸の右転状況等についてのデータを基礎としたコンピューター計算による推論として,両船がそのまま進行すれば約11メートルの間隔をおいて離合できるはずであった旨証言するのであるが,同人が基礎としたデータのうちタイヨーの速度についてはこれを30.6ノット(時速約56キロメートル)としているものであって,右推論の前提であるデータの数値自体の相違からしてその証言は直ちに採用し難く,仮にタイヨーの速度を前記のとおり時速60ないし70キロメートルと修正して右証人の計算に当てはめてみたとすると,両船が衝突せずに擦れ違うことができるとしても,その間隔は右にいう約11メートルよりも更に短くなる道理である。しかも右証人Sの用いたその他のデータも決して絶対的なものではなく,したがってその針路の交差角度,相互の位置関係等において相当の幅を見込んでおかなくてはならず,そうだとすると前記のとおり互いに交差する針路を取りつつ,タイヨーにおいては時速60ないし70キロメートルの,能水丸においては時速約30キロメートルの各速度で互いに接近する状況を考えると,当審における右S証言は,両船がそのまま進行すれば衝突する危険があったとする原判決の認定,判断を左右するものとは言えない。

なおこの点に関して,弁護人は,海上衝突予防法7条4項を援用し,「船舶は,接近してくる他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められない場合は,これと衝突するおそれがあると判断しなければならない」旨定める同条項の反対解釈として,接近してくる他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められる場合は衝突のおそれがないと判断できると解すべきところ,本件は後者の場合に当たるから衝突の危険はなかったと言える旨主張するのであるが,右主張は同項その余の文言すなわち「接近してくる他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められる場合においても,……近距離で他の船舶に接近するときは,これと衝突することを考慮しなければならない」との部分あるいは更に具体的に行き合船関係又は横切り船関係において遵守すべき航法を定めた同法14条,15条の規定ないしその法意を無視する立論であって,到底採用できるものではない。

ハ また,右3の点について検討するに,弁護人の主張は,被告人が約200ないし300メートルの距離で能水丸を視認したことを前提とするものであるところ,これは原審及び当審各公判廷における被告人の供述を根拠にしたものと考えられる。そして記録によれば,被告人は,捜査段階においてはほぼ一貫して,衝突直前に同乗者Oの「兄貴,危ない。」という声で初めて右前方約15メートルを右から左に横切る形の能水丸を発見し,急きょクラッチを切り,右に転舵したが間に合わず,タイヨーの船首を能水丸の左舷側船首から約9.2メートル(船尾から約2.35メートル)の位置に衝突させたものであり,その以前には能水丸を視認していなかった旨述べていた。…中略…もし公判段階における供述が真実であるなら,なぜ被告人が捜査段階においてこれを供述しなかったのかとの疑問につき,何ら合理的な理由を見いだすことができないのであって,この点も含めて被告人の右公判供述が信用できない旨の原判決の説示は,当裁判所もこれを正当として是認するものである。

…中略…

なお,所論には,被告人の初認ないし視認の状況についての所論の採否いかんにかかわらず,能水丸側の過失との競合ひいては被告人の過失の程度についての事実誤認の主張をも含むと解する余地があるので,念のために付言すると,タイヨーはレース艇として登録され,長さ7.16メートルの船体に340馬力のガソリンエンジンを搭載し,最高速度毎時約110キロメートル,巡航速度毎時70ないし80キロメートルの高性能小型船舶であり(被告人の原審公判供述によれば,これほどの高性能のモーターボートは広島近辺では珍しいという。),被告人はこれを駆ってアマチュアレースに参加して好成積を収めた経験もあることが認められるところ,本件当時被告人がこれを操船して毎時60ないし70キロメートルの速度で前方注視を欠いたまま能水丸に接近し,右前方約15メートルに初めて能水丸を発見して機関停止等の措置を採ったが間に合わず,これに自船を衝突させたことも既に述べたとおりである。

…中略…

右能水丸の操船者Yの立場に立って本件事故前の状況を考えてみると,日常この付近の海域を航行する一般小型船舶とは格段に異なる高性能を有するタイヨーが,ごう音を上げ,波を蹴立てて海面を飛ぶようにばく進し,しかもこれが前方から自船の針路に交差する形で接近してくるのを見て,まさかその操船者が自船に気付いていないとは思わず,前記のような大まかな両船の針路の取り方からして互いの針路を予想し,海上交通の一般原則に従い,左舷対左舷で安全に離合できるように針路を調節してくれるであろうと考え,タイヨーの動向に気を付けながらそのままの針路,すなわちタイヨーに向かって右方への針路を維持しながら進行したが,案に相違してタイヨーが右転(能水丸から見て左方へ転針)せず,右のような高速でますます自船に接近してくるのを見てろうばいし,それでもまだタイヨーの操船者が自船の存在を認めているものとの意識が抜けずに,半ば本能的に更に右に転舵して衝突を避けようとしたものと想定しても,関係証拠上認められる当時の客観的状況に照らしてさほど不自然,不合理ではないというべきであり,むしろこのような状況下において,被告人が前方注視を怠り,能水丸の存在に気付いていないことを予測し,それを前提としたような対応をすべきことを右Yに期待し,求めることは難きを強いるに等しいとの見解も十分に成り立つものと思われる。そうすると,右Yにおいて本件事故回避のためのより適切な操船方法を期待できた可能性について若干の留保を残しながら,なお,本件事故の発生についての被告人の過失が重大であるとした原判決の認定,判断は,右で述べたような考え方をも考慮に入れながらも,更に慎重を期して被告人に有利に想定し得る場合を最大限に斟酌したものとしてけだし相当というべく,したがって原判決には被告人の過失程度ないしその割合等,被告人の行為の違法性あるいは責任の程度,大小等に関する事実について,判決に影響を及ぼすような事実誤認があるとは認められない。

…後略…

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